三重 伊賀上野城と登城記念朱印
しかし、秀吉の没後、慶長13年 (1608)家康は定次を失政を理由に改易。
新たに伊賀・伊勢の城主として築城の名手である藤堂高虎を据える。
大阪を牽制するため、高虎は城の大規模な改修に着手。
西側に30mの高さを持つ石垣を積み上げ、本丸を大幅に拡張。
しかし、完成直前、暴風雨により大天守は倒壊。
その後、豊臣方の滅亡により城普請は中止され、城代家老が執政することとなる。
伊賀文化産業城と称し現在に至る。
城の周辺にいくつか駐車場があります。
現在地の駐車場に車を止めて歩きます。
石垣を見ながら
城名碑
本丸へ向かいます。
大きな石がたくさん置かれています。
高石垣
美しい天守
天守入場口にて登城記念朱印を販売しています。
城代屋敷跡へ
表門跡
屋敷跡
裏門(台所門)跡
裏門から見た表門方向。
忍者博物館方面へ
高石垣
登城記念朱印
三重 伊勢神宮 皇大神宮(内宮)と御朱印
内宮 駐車場とナビに入力し、外宮の駐車場を17時55分に慌てて出発。
ナビの指示通りに走り、18時05分に内宮近くの駐車場に到着しました。
急いで地下参道から、おはらい町通り・おかげ横町へ。
ところが一部を除いてほとんどの店はすでに閉店。
これはイカンと走って内宮に向かいました。
18時19分に到着。衛士見張所には明かりが灯っています。
参拝時間を確認すると、外宮と同じく19時と記してあり安心しました。
概要
宇治橋を渡ります。
すでに参拝者は誰もいません。
大正天皇御手植松
手水舎
宮域図
鳥居をくぐり、五十鈴川御手洗場。
もう一度鳥居をくぐります。
五丈殿
歩きます。
正宮
ここから先は撮影禁止。
籾だね石
御稲御倉(みしねのみくら)
外弊殿(げへいでん)
別宮 荒祭宮(あらまつりのみや)
瀧祭神(たきまつりのかみ)
すでにあたりは暗く、時刻は18時47分。
戻ります
宇治橋からは三日月が。
橋を渡り終える頃には竹柵が半ばまで閉じられていました。
19時に竹柵は完全に閉じられました。
案内図
参拝する時刻が遅くなり、内宮を全て巡る事ができませんでした。おかげ横町の散策や
赤福を食すことも楽しみにしていただけに、日程に少々無理があったと反省。
神宮関係者以外、誰もいない内宮を参拝できたのは良かったのですが。
三重 伊勢神宮 豊受大神宮(外宮)と御朱印
神宮に隣接して、いくつかの駐車場があります。
案内図
参拝時間
表参道火除橋
概要
正宮に向かいます。
手水舎
鳥居
大庭(おおば)
手前に九丈殿、奥に五丈殿。
古殿地
正宮
別宮へ
風宮
元寇の時、神風を吹かせて日本を守った神様。
土宮
大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を祀ります。
豊受大神の荒御魂を祀ります。
御朱印をいただき戻ります。
こちらは北御門側の手水舎と手水鉢。
御朱印をいただき、駐車場に着いたのが18時頃でした。
急いで参拝した為、せっかくの神宮内を全て見てまわることが出来ませんでした。
本来は、表参道から正宮、外宮を参拝して御朱印をいただき、北御門鳥居経由で
戻るべきでした。御厩が見たかった。
パンフレットの案内図
この後内宮へ。 間に合うのか?
三重 伊賀國一之宮 敢國神社と御朱印
新潟 臥牛山村上城跡 その3(街中散策)
日も陰ってきましたが、少しだけ街を散策することにしました。
村上城追手門跡
種田山頭火 歌碑
重要文化財 若林家住宅
イヨボヤ会館(鮭の博物館)
村上の方言でイヨボヤは鮭を意味するそうです。
隣に土産物店がありますがイマイチです。
鯉のぼりならぬ鮭のぼり。
おしゃぎり会館
おしゃぎりとは祭りで曳かれる山車のことらしいです。
駐車場から城跡が。
井筒屋
現在は鮭料理の専門店です。
早撰堂
レトロな看板の菓子店。
千年鮭 きっかわ
村上を代表する塩引き等、鮭の加工販売店。
私はこちらで自分用に酒を購入しました。
村上城跡は近辺に比較的広い駐車場を持ち、駅からも遠くない(徒歩25分程)アクセスの
良い城跡です。
四ツ門までの通称七曲道は整備され登りやすく、この時期は周囲の緑も美しい。
御鐘門跡から出櫓、天守への石垣は一見の価値があります。
ただ、仕方の無いこととはいえ、平成12年から開始された石垣等の修復作業が
今も継続中であり、あちらこちら雑然としているのが大変残念です。
いつの日にか作業完了後、是非もう一度訪ねたいと思います。
新潟 臥牛山村上城跡 その2
黒門跡
平櫓跡
本丸東側の石垣
本丸へ
冠木門跡
枡形
本丸
奥の一段高いところが天守台です。
本丸からの景色
本丸を出て中世散策コースへ。
概要
埋門跡からスタートします。
曲輪跡に出ました。
細い道を歩きます。
坂中門跡
千荷井戸
四ツ門跡に出ました。
戻って、村上の街を少しだけ散策します
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